はじめまして、底辺アラサー女のわこです。
底辺ってどのくらい底辺かというと
・高卒
・スキル無し
・フリーター(5年ぶりのアルバイト)
・持病有り
こちらの4コンボです。
こんな私が
ウェブマーケティングで月20万稼ぐ事を目標に
1年間、本気で頑張る!
をテーマに始めたのがこの
「わこの成長ブログ」です。
「知らない人の自己紹介かー、読むのちょっと面倒くさいな」
と思われるかもしれませんが
将来に絶望しきっていた私が
「ウェブマーケティングを本気でやろう!」
と決意した経緯を書きましたので
是非読んでください!
細かく読むのが面倒くさい方は
色付きの部分だけ読んでもらえればOKです!
1.基本情報
・名前 わこ
・性別 女性
・誕生日 1998年10月生まれの25歳
・出身 関西出身
・高卒、スキルなし、フリーター
・持病有り(精神疾患、現在はほぼ寛解)
気前が良く真面目なサラリーマンの父
アグレッシブでサバサバした看護師の母
一人っ子の私の3人家族でした。
両親共に安定した職に就き
不自由なく育ててもらい、感謝しています。
2.【人目を気にする優等生】
〜小学生時代〜
周りにいませんでしたか?
授業中積極的に手を挙げて発表し、
学級委員をして、
やんちゃな男の子達に注意するマセた女の子。
私はまさにそんな小学生でした。
自己表現が得意で、プリンセスやドレス、プリキュアが大好き!
5歳の頃にクラシックバレエを習い始めてからは、
バレエ一筋!バレエ少女でした。
小学2年生の頃、両親が離婚し
母と2人の生活が始まりました。
母は看護師としてバリバリと働いており、
収入が安定している事から
シングルマザーでありながら、
不自由なく生活させてもらい、
大好きなクラシックバレエも続けさせてくれました。
そして、この頃に
「ママはお給料が良いから離婚できたけど、
お金がなかったら離婚したくてもできひんねや」
という事に気付きます。
この頃から自分も母のように、
バリバリ働くカッコイイ女性になりたい
と思い始めました。
〜中学生〜
相変わらず真面目な優等生でした。
プチモテ期がきて喜ぶのもつかの間、
軽い虐めに合い、人目を気にするようになります。
そんな中、中学2年生の頃に宝塚歌劇団と衝撃の出会いを果たし、
生活が宝塚一色になります。
元々、プリンセスやドレスが大好きで、クラシックバレエも習っていた為
周りがジャニーズやKーPOPアイドルを追いかけるなか、
「男役さんカッコイイ〜♡♡♡」
と宝塚に夢中でした。
やがて
「自分はバレエも習ってるし、身長も高いし、何よりこんなに宝塚が好きなら、入れるんちゃう!?」
という謎の自信により受験を志し始め、
高校生になったら本気で宝塚受験のスクールに通おうと決心していました。
〜高校時代〜
無事に志望校に合格して、宝塚受験に活きるだろうとダンス部に入部しました。
それが思いの外楽しく、彼氏もできて新しい生活を満喫していると
一度宝塚熱が冷めてしまいました。
しかし高2の10月、周りに勧められてまた
「宝塚を受験したい!」と火がつきます。
その頃の宝塚音楽学校の平均倍率は20倍前後。
「やばい!受験まであと3か月しかない!」
バレエを再開し、
未経験の声楽を始めて、音痴なのに一生懸命歌っていました。笑
そして1番の課題は
ダイエット!
残り3ヶ月で最低でも10キロは痩せなければならず、
食べ盛りの高校生にとっては拷問でした。笑
①10年やっていた割にたいして上手くないバレエ
②音痴が始める未経験の声楽
③過酷なダイエット
この時点で、負担が半端なかったです。笑
それに加えて、
高校のダンス部で初めてのコンクールに挑戦する時期でもありました。
ヒップホップ未経験だった私は、
他のダンス経験者の同級生達に毎日コテンパンに指導されます。
そして、ダンス部全体もコンクールのプレッシャーからかギスギスし始めて
人間関係も最悪。
毎日のハードなダンスとバレエ、声楽には、
質素な食事では栄養が足りません。
栄養不足でクラクラしながら踊っていましたが
様々なストレスで全然体重が落ちない
↓↓↓
それがストレスで過食する
↓↓↓
後悔して質素な食事をする
↓↓↓
またストレスが溜まる
罪悪感と自己嫌悪によって負のループに陥っていました。
ストレスがピークに達したある日、
宿題の文字が認識出来なくなります。
それをきっかけに堰を切るように体調が悪くなり、体が動かなくなり、
うつ病と診断されました。
高3の1年間はほとんど授業に出席出来ず、
本来ならアウトなところを、
先生方の配慮により特別条件で卒業させてもらいました。
もちろん夢だった宝塚受験は出来ず、絶望でした。
3.【這いつくばってトイレに行く地獄時代】
高校を卒業した後、
「宝塚の道も閉ざされたし、進路どうしよう、、、
でも一応進学はしたい。」
という事で美容専門学校に入学しました。
「宝塚受験のストレスや、部活や人間関係から解放されたから、何とか通えるかも」
と期待していましたが、
体調は全然良くならず休学を繰り返し、
退学して150万円分の学費が無駄になりました。
周りは友達や恋人と遊びながら、
楽しそうに大学生活を満喫しています。
そんな中、自分は体がまともに動かず、
這いつくばってトイレに行き、
布団に戻りたいのに戻れない。
泣きながら床で寝ていました。
毎日寝ながら時間だけが過ぎてゆく。
友達が
「バイトめんどくさい」「授業だるい」
と言っているのさえ恵まれていると感じていました。
周りが当たり前にしている事や、
前まで自分が当たり前にしていた事が、
全く当たり前ではなくなりました。
何とか体調が落ち着いた時期にアルバイトに挑戦しても、
やっぱり体調が追いつかず辞めてしまう。
それに加え、
お薬の副作用とストレスによる過食で25キロ太りました。
ピチピチの20歳の女の子にとっては由々しき問題です。
周りと自分の差に落ち込む日々でしたが、この後更に辛い経験をすることになるのです。
4.【人生のターニングポイント】
たぶん21歳くらいの頃、
自分も恋愛がしたくてマッチングアプリで、ちゃっかり彼氏を作りました。
しかし出会って間もない彼氏に、私の状態は荷が重過ぎますよね。笑
「何でもかんでも病気のせいにするな」
と呆気なく振られます。笑
「バイトも続かへんし、
彼氏にも振られるし、
大学も行ってないし
病気やし、
めっちゃ太ったし最悪や」
「病気を治すだけでもしんどいのに
治ったら働かなあかんし
高卒でスキルもない自分が働けるのか」
「治ってもまた病気が再発したら
また振り出しやん」
絶望していました。
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(ここからちょっとヘビーになります。)
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絶望だった日々に更に絶望を重ね、絶望しきっていると、
段々と「この世からいなくなりたい」と思うようになりました。
俗に言う希死念慮です。
「いかに簡単にいなくなれるか」
「どうやったら1回で確実にいなくなれるか」
「後処理で迷惑をかけずにいなくなれる方法はないか」
そんな事を真っ暗な天井を見つめて、
泣きながら毎日考えていました。
しかし体は動かないので、
行動に移せない自分が憎かったです。
お風呂は2週間に一度、母に全て洗ってもらう。
少し体が動いたと思えば、
部屋中の物を投げ散らかし、床や壁に穴を開けました。
生きる事全てに抵抗しました。
全てが苦しかったです。
こんなにいなくなりたいのに、
トイレに行きたくなったり、お腹が空く。
体は生きようとしている事が許せませんでした。
傷ついた私を見て、
家族の心も大きく傷つけてしまいました。
この頃は通院も拒否していましたが、何とか母に連れられて病院に行き
「治ってもまた、いなくなりたい。と思うかも、怖い」
「どうやったら治りたいと思えるのか教えて欲しい」
と主治医に訴えました。
そして入院生活が始まります。
(センシティブな話題なので少し控えめに書いています。)
5.【人生が切り開き始める】
~入院生活~
入院すると
周りの方のサポートや
整った生活リズム
バランスの取れた食事
認知療法や作業療法
人との関わり
いつでも不安になっていいという安心感などから
入院前より、かなり元気になりました。
~デイケアで再び感じたこと~
無事に退院して、デイケアに通い始めます。
デイケアには様々な境遇の人がいましたが、
子持ちのお父さんが何人か通っていらっしゃった事が印象的でした。
そして
「稼ぎ頭であるお父さんも、働けなくなる場合がある」
「将来パートナーに経済的に依存するのは、両者にとって負担であり、リスクなのでは?」
「もしも家族に何かあった場合、自分に経済力がないとやっていけない」
母が離婚した時のように、経済力の必要性を強く感じました。
6.【SNSが全然伸びない!】
「就職出来ても、
もしまた体調が悪くなって勤め続けるのが難しくなった時の事を考えて、
個人で得られる収入源が欲しい」
という事で、宝塚をテーマにしたYouTubeを始めます。
【このYouTubeチャンネルは登録者数1000人を超えて、1万再生を超える動画をいくつも作り自分の中では成功でしたが、
著作権の問題等からこれ以上の収益化は望めないと思い、今は投稿していません。
収入目的の投稿ならウェブマーケティングの勉強をして、別のジャンルで投稿した方が良かったのかもしれません。】
YouTubeをもっと伸ばすにはどうしたらいいか?
自己流では何が何だか分からず
Webマーケティングについて強く興味を持ち始めます。
しかし手前味噌な情報では上手くいきませんでした。。
その後もっと体調が良くなり
Web系の就労継続支援B型と
就労移行支援に通い、
Webデザイナーを目指す事にしました。
そちらでは、
・Illustrator
・動画編集(BEYOND)
・YouTube運営
・Instagram運営
・Canva
など実務経験を交えながら学習していました。
「Instagramの伸ばし方」みたいな本を読みながらその通りにやっても、
なかなか伸びませんでした。
また、個人的にもInstagramでインフルエンサーを目指し、
投稿を始めてみましたが、
上手くいかずやはりいつも
「マーケティング方法をもっと知りたい!」
という結果にたどり着きます。
それと同時に、自己流ですがウェブマーケティングを勉強する中で
「マーケティングの世界って楽しそう!」
という感覚も強くなりました。
また就労移行では基本的に、
企業での就職がゴールなので、
フルタイムで勤める事が前提条件となります。
私はデイケアや就労移行の中でも
特に回復が著しく、就労意欲も強かったと思います。
どんどん前向きになり体調も良くなってきていましたが、
3年くらい寝込んでいた事と、
病気によって疲れやすくなっていたので
1番の課題は体力でした!
「フルタイムで正社員で働くにはまだまだ体力が追いついてないな〜」
と思いながら頑張っている時、母が
「もっと色んな事に挑戦したいから、東京に転勤願い出すわ」
と言い出しました。
50代で看護師としてバリバリ働き職場改革しながら、
FXの勉強もしている超アグレッシブな母から、衝撃の提案です。
体力分けてくれ~
退院してからというもの、
母の積極的な姿勢に影響を受けまくり、
私自身もその提案を聞いて
「産まれてからずっと地元から出た事ないなー」
「今やったら働いてないし、引越ししても特に問題ないやん!」
「東京に行ったらもっとチャンスが増えるかも!」
と期待に胸を膨らませ、母の転勤にぶら下がって25年間いた地元を離れ
2023年10月に引っ越しました。
7.【やっと手にした仕事とやりがい】
引っ越し前に就労移行で就職について真剣に考えた時
「本当にウェブデザイナーになりたいのか?」
という疑問を持ち始めます。
親や、親友、周りの人達に自分の個性や強みを聞いたり、
自分の中でやりたい事を考えた時に
「もっと人と直接関わる仕事がしたい!」
という答えに繋がりました。
そして自分の好きな事や興味を洗い出し、
色々な職業を調べまくった結果、
「ドレスコーディネーター」という職業をみつけて、
「これだ!!!!」
ビビっときました!
これまでの私の傾向から、
・プリンセス
・ドレス
・プリキュア
・クラシックバレエ
・宝塚など
キラキラした美しい物が大好き!
ドレスに囲まれて働けるお仕事があるのか!と感動しました。
しかしウェディング業界は立ち仕事で体力的にハードだと聞きます。
「ただでさえ体力に自信の無い自分には挑戦出来ないのでは。」と
躊躇していました。
「もし挑戦しても自分の現状ではアルバイトが限界だろう。」
「体力や結婚、出産の事を考えると数年しか続けられないかも。」
「もし出産後また働こうとした時、アルバイト経験しかない、高卒、スキル無し、持病有りでは詰むな」
「そもそもアルバイト自体5年ぶりなのに、ちゃんと働けるのか?」
色々な事がよぎりましたが、
「これから結婚や出産をしたら更に挑戦へのハードルが高くなる」
「まだ若いし挑戦するなら今だ!」
「今やらなかったらきっと後悔する!」
一大決心をしてドレスショップの求人を探し始めました。
そこで見つけた気になるドレスショップは個人経営のお店で、
広告費をかけない分お安く提供する。という方針でした。
唯一ある広告媒体はホームページとInstagramのみ。
「ここだったら未経験でも、
就労移行で学んだInstagramの運営経験が役に立つのでは!」
就職面接か?と思うくらいに面接対策をノートに何ページもまとめて、
「自分がInstagramを担当したら、こんな投稿を作りたいです!」と、
デモ投稿を作り
いざ挑んだ面接。
全力でアピールして、
聞かれてもいない志望動機をベラベラと喋り倒した結果、
即日採用!
本当に嬉しかったです。
そして今は憧れのドレスショップで働いています!
心配していた体力面も、個人経営のお店だからこそ配慮して頂き、
周りのスタッフの方々も本当に素敵な方々ばかりで、
まだまだ見習い中で、たまにやらかしてますが手取り足取り教えて頂いています。
そしてアピールした通りInstagramも担当させて頂いてます。
体力的にしんどい時はありますが、
それでも毎回出勤する時はお仕事が楽しみです。
大好きなドレスに囲まれて、
恵まれた環境で働けてなんて幸せなのでしょう。
その上少しでも自分の力でお金を稼いでいるんです!
たかがアルバイト。
されどアルバイト。
私にとってはここまでとても長かったです。
周りの方に支えてもらいながらも
よく頑張ったと思います。
1年前の自分は想像もしていませんでした。
「行動したら人生変わるで!」
少々ウザイですが1年前の自分に伝えたいです。
8.【イカれてる?頭の中がお花畑になったよ】
そして私は病気を経て、とっても大切な事に気付きました。
当たり前は当たり前ではないという事。
幸せとは、条件や環境によって満たされるものではなく、
自分の経験や捉え方次第で大きく変わります。
・朝起きて
・顔を洗えて
・何かを食べたいと思ったり
・ご飯を美味しいと思えたり
・笑ったり
・外に出れる事
とっても幸せなことです。
そして自分にとって辛い経験を乗り越えたからこそ、
ちょっとやそっとの事はどうにかなるという自信もつきました。
長い人生の中で、
こんな辛い経験があるのかと思うと
(もっと辛い経験をする可能性もありますが)
これから起こるであろう色々な経験も、
ただの1つの経験に過ぎません。
私の座右の銘?は「これも人生!」です。
その時は目の前の事に気を取られて、
落ち込んだり悲しんだりするかもしれませんが、
長い人生で見れば1つの思い出になるでしょう。
人生って様々な事が起こるみたいです。
どんな事も人生の一部だと思って、
その感情を味わい、楽しむ。
それが人生の醍醐味だと思っています。
そして、自分の幸せの指針や自信がついたことで
「自分はこれからも絶対幸せになれる」という
イカれた確信を持っています。
自分を信じているんです。
自分を1番に信じれるのは自分です。
地元にいた頃、
2年付き合った彼氏と別れる時も1週間ずっと号泣していましたが
「めっちゃ辛いやん、めっちゃ人生〜」
「今もこんなに幸せやのに、別れたらもっと幸せになれるってこと〜」
「最高やん〜」
という具合でした。
自分で自分が面白かったです。笑
こんな感じで、今の私の頭の中にはお花畑が広がっています。
9.【これからのわこ】
まあそういう感じで、前向きに?頑張っている訳ですが、やっぱり
「高卒、スキルなし、フリーター、持病有り」
という事実は変わりません。
これだけのお花畑状態なので、
自分の事が嫌いとか劣等感がある訳ではないですが
この部分は自分の中でもずっとコンプレックスです。
そして「今の状態からいつか就職しようと思っても厳しいのではないか。。。」
漠然とずっとそう思って、不安に感じてきました。
それなら就職を目標にせず自分の力で稼げるようになろう!
という事で
・ライブイベントや、体調に合わせて働ける収入源が欲しい!
・出来れば在宅で!
・家族に何かあった時の為に、ある程度の経済力が欲しい!
・学歴不問!
・手に職をつけて、
「高卒、スキル無し、フリーター、持病有り」
故の就職への不安を解消したい!
という都合良すぎなお仕事を探していたところ、
前々から興味を持っていた
Webマーケティングだったら全てクリアできるのでは!?
そう思ってWebマーケティングを本気で学ぶ事にしました。
こちらの、「わこの成長ブログ」では
「高卒、スキル無し、フリーター、持病有り」
という底辺アラサー女が
「ウェブマーケティングを本気で1年頑張ったら月20万稼げるか」
を検証するブログです。
これから私が1年をかけて
本気で頑張るので
「へ~、なんかやってるな~」
でもいいですし
「このわこっていう人、自分と境遇が近いな~」
でもいいですし
「自分もちょろっとやってみようかな~」
でもいいです。
興味を持って頂けたら嬉しいです。
次回は、このブログの方向性をお伝えする
コンセプト記事をお届けする予定なので
そちらも読んで頂けると嬉しいです。
この記事は以上となります。